こんにちは。斉藤麻美です。
最近飲食店の店員さんの自由度が増していると感じます。髪型、アクセサリー、ネイルなど自由で羨ましいと思いました。41歳のわたしが学生のころは自由度が高いアルバイトは本当に限られていました。
社会人になってからも医療従事者なので、身だしなみにはいろいろと制限がありました。茶髪とシンプルなネックレス、ピアスはOKだったので、予想外に緩くそれはそれでビックリでしたが髪型やネイルに自由はなく、制限を感じていました。
だからこそ、自由度が高い身だしなみの人は羨ましいと感じていました。
現在はオシャレに制限がない生活を送っているので、組織ごとの常識は差があり、考えさせられるものがあります。
ところで、自由度が高い身だしなみ、例えば金髪などの人の場合はより、注意して接客するようになったそうです。
特に年配のお客様などから否定的な意見をもらうかもしれないので、身だしなみを理由に注意されることがないよう、徹底的に気を使って仕事をするようになったそうです。
そのため良い変化とも言えます。
このように考えると当たり前って何なのでしょうか?
ネイルをしていると不衛生という事実がありますが、ホールの人は実際には料理を作らず、運ぶだけであるので不衛生さが増すとは限らないのです。
特に爪が短く、簡単に剥がれないジェルネイルであればリスクは自爪と変わらないのではないかとさえ感じます。
これと同様に、コロナ禍のマスク着用も疑問に感じることがありました。
今はマスクは自由になり、していない人もいますが、特に流行初期はマスク着用が徹底されていました。しかし、マスクが苦手で鼻を出している人もいました。
マスクをしていれば鼻を出してもOKという雰囲気がありましたが、実際はマスクの効果がなくなってしまっており、見栄えだけを気にしている状態になっていました。
最近ではマスクの着用義務は薄れていますが、コロナ撲滅に成功したわけではないですし、普通に流行しているので感染予防の観点からはマスクが必要です。
当たり前とはどこをどのような基準で行なっているのでしょうか?
しかし、ずっと感染予防をしっかりすれば良いというものではなく、マスクをしたり、アルコール除菌をすることでウイルスや細菌がなるべくいない状況を作り上げることで、免疫力を下げることにも繋がるので何事も適度が1番です。
このように一長一短があり、当たり前とは幻想なのです。
当たり前や常識とは、マスコミや集団が作り出した幻想なのです。
確かに絶対的な常識、当たり前があるのも事実です。
例えば人を殺してはいけないとか。でもそれも大きな視点で見ればわからなくなるのです。
人を殺してはいけないのに害虫のゴキブリを殺すのがOKなのはなぜでしょう。ゴキブリにとっては人間が天敵なので地球的規模で考えれば人間がいなくなるべきなのかもしれません。
このように発達障害も障害とみなされていますが、発達障害の人口が増えれば発達障害の人が当たり前で普通になるのです。
最近、発達障害の人が増えましたが、潜在的には増えておらず、診断されたかどうかなのです。
発達障害とは発達の凸凹のことであり、全く凸凹がない人はまずいないのでそういう観点から言えばほとんどの人が発達障害といえてしまうのです。
発達障害のあなたは、つい当たり前について考えてしまい、そのレールに乗れないことに悩んでいるかもしれません。しかし、見方によっては物事は自由自在に変わるのです。
その物事を見る視点は発達障害を克服する上でとても大切です。
なぜかというとある物事においてやる気を失い、落ち込んだ場合は何も進まずに、解決しませんがその物事を問題として認識しなければネックを感じずに取り組めるのです。
これがマイナスであることは当たり前のことと考えるのではなく、それは本当なのか、マスコミや組織の幻想に惑わされているのではないかと考えることが大切です。
このように当たり前とは何かを考え、それがあなたに当てはまるのか、当てはまることであるいは当てはまらないことでマイナス思考になることを止める方法を無料メルマガ「発達障害克服の方法」で教えていますので、下記のリンクからご登録ください。