こんにちは。斉藤麻美です。
あなたは何か課題をクリアするとき、どんな努力をしますか?そしてそれにつまづいたとき、どう対処しますか?
そして、できなかったときはどうしますか?今回はわたしの事例について考えてみましょう。
わたしは小学生のころ、運動会で盆踊りを踊る機会がありました。練習でも踊ることができず、とうとう本番でも全く踊ることができず、立ち往生してしまったのです。
わたしの言い分として、難しくて到底練習についていけなかったこと、先生に見捨てられ、教えてもらえなかったということがありました。もしあなたに発達障害があれば、発達障害があるからできないのだと言い訳しますか?
ではそれは本当なのでしょうか?事実なのでしょうか?
わたしには手も足もあります。生まれつき手足がない人もいれば、寝たきりで挑戦することすらできない人もいるのです。そういう人たちから言わせるとわたしは傲慢だったのです。
いくらでも挑戦できるのに、挑戦せずに諦めてしまっていたのです。仮にあなたが発達障害だったとしても挑戦できない理由にはならないのです。
では、本当に努力していなかったのでしょうか?いいえ、そんなことはありません。わたしなりに精一杯努力しているつもりでした。
ではこの食い違いはなぜ起きたのでしょうか?本日はその食い違いについて考えてみたいと思います。
盆踊りを踊れなかったことはわたしにとって屈辱的なことであり、とても辛かった記憶があり、大人になってから両親になぜ何もしてくれなかったのかと聞いたところ、当時は精神科で治療できるような時代ではなかったし、手の施しようもなかったから仕方がなかったと言われたのです。
そんなことを言われましたが、精神科で治療を受けて不器用を克服したわけではないのです。
メンターの心理士の稲津秀樹さんと出会うことで不器用を克服したのでトレーニングは受けたものの、通院はしていないのです。
手の施しようがないような事実を突きつけることで、できない言い訳をし、できないことは当然でありそれを正当化することで自分に否がないことを認めたかったのです。
そしてその考えはあなたの両親から引き継いでいる可能性が高いのです。
あなたもできない理由をでっち上げることで諦める理由を探していませんか?
しかし、どこがどのようにできないかを具体的に考えることでできることはあります。
盆踊りの際、わたしが当時やらなかったことで、当時できることはできなくて困っていることを周りに知ってもらうこと、教えて欲しいことと思っていることを知ってもらうことです。
そうすることで個人レッスンをしたりすることができます。その中でどこがどのようにわからないかを見極め、わからない部分へアプローチするのです。
このようにできないことができるようになる過程にはステップが何段階もあり、わからないことをわからないということをを含め、階段を1段ずつ確実に登る必要があるのです。
しかしたかが、盆踊りです。こんなことを言ったら、盆踊りを踊っている人たちを敵に回しますが、受験や就職には一才必要がないのも事実です。
しかし、実際は盆踊りが踊れなかった代償はとても大きいものでした。これが原因でわたしは大人になっても引きづり、何度も解雇される状況に陥ったのです。
理由をつけてできないことを達成してこなかったからなのです。この癖が定着してしまいました。そして初歩的なことをクリアしないまま、応用を要求され、とうとう手のつけようがないところまで来てしまったのです。
あなたも心当たりがありませんか?
でも大丈夫です。わたしも初歩的なことをクリアしないまま、放置し、応用を要求されできず解雇されてしまいましたが、今では不器用を克服して器用になりました。
その方法とは、どのようにしたら問題を解決できるかを考え、具体策を実行できることですが、それができるようになるためには、認知を修正する必要があります。
物事の主観的な捉え方のことを観念と言いますが、観念の修正や手放すことで言い訳をすることがなくなります。
できないことに対する能力の無さに落ち込んだりすることなく、できない事実のみに着目し、改善策を具体的に考えらえるようになります。その方法を無料メルマガ「発達障害克服の方法」で教えていますので下記のリンクからご登録ください。