こんにちは、発達障害克服カウンセラーの斉藤麻美です。
あなたは死んだ後に見せられる箱の話を知っていますか?
死んだ後、生きている間に勇気を出せなかかったり、最初から諦めたり、怠けたりなどで最初からつかもうとさえもしなかったものが本当は手に入れられるものだと指摘するものが入った箱を見せられるそうです。
玉手箱とは違いますが、イメージは同じような箱でしょうか?

実際、なぜ死んだ後にわざわざもう不可能なことを突きつけるのか、ちょっと意味不明ですが、死んだ後ではなく、今生きている人たちのための言葉だと思います。
想像しただけで胸が苦しくなったりしませんか?
あなたのちょっとした決断が大きなチャンスを掴むことだってあるのです。

特に発達障害があるといろんなことを諦めて日常生活を送っていませんか?
どうすればも問題解決できるのか考えるのではなく、行動する前から負け越しで、考えることすら諦めていませんか?
私の両親はよく人は人、私は私と言うのが口癖でした。
できる人は才能があるけど、私は才能がないからと言うことらしいです。

表立って私に才能がないと言ったことはないですし、私以上に両親が認めたくないと思っているので、事実を突きつけてくることは一度もありませんでした。
これを裏付ける発言はたくさんあったのです。
初めてだったから仕方がない、イレギュラーなケースだから仕方がない、今回は難しい内容だったから仕方がない、たまたま運が良かった人に取られただけだから仕方がない、いきなりだから仕方がない、あの子は特別だから同じようにできるわけがないなど数えたらキリがありません。

そのせいで私は子供のころから不器用で、大人になってもずっと不器用でした。
ずっとわからない理由がわかりませんでした。
正確にはわからない理由すら考えたこともありませんでした。
まさか、不器用な理由がわからないことがわからないからだとは思っていないからです。
だから「お前は発達障害だ」と言われました。

私はいつもいつも不器用なために、やりたいのにやることができず、与えられたミッションを立ち尽くして見ているだけのことが多々ありました。
とはいえ、私の頭の中はフル回転で、汗が出るほどテンパっており、必死に行動しようとしていました。
はたから見れば何もしていないでサボっているだけの人です。
そのためよく勘違いされていたようです。
勘違いされていたようですとは、自分としては必死になっているので、サボって見えることなど気づく余地は全くなく、発達障害を克服してから、客観的に昔の自分を見てそう気づいたのです。
30年という年月を経て初めて、相手の言い分の意図を理解したのです。
ずっと腑に落ちないことを言われ、意味がわからないなと思っていたことが多々ありました。
必死でやっていても、サボっていると評価されたために、会話が噛み合わないことが多く、やっとその意味を知りました。

だから死んだあとに見せられる箱の話がとても印象的でした。
とはいうものの、私の場合は昔から努力していたのです。
しかし、努力しているということに満足し、どうしたら成果を出せるのか、何がどう間違っているのか考えることができませんでした。

聞く人を間違ってもいけません。
もっと論理的に教えて欲しい趣旨のことを言ったらとにかく努力することが大事で瞬時に身につけられるテクニックなどないと怒られてしまったことがあるのです。
その通りだと思ってしまったので、なおさら発達障害の問題を解決する方法に話がいくことはありませんでした。
発達障害があると論理的思考ができないことがあるのです。
もちろん発達障害があると考え方にこだわりが強く論理的思考すぎるからもっと柔軟に考えるようにと言われることもあるはずです。
論理的思考よりも柔軟な発想とは実際どんな感じだと思いますか?
論理的思考ができるかどうかは置いておいてどんなものかはなんとなくわかると思います。
でも柔軟な発想とはどんな発想でしょう。
全く歯も立たなかった内容を果たして柔軟な発想で乗り切れるのでしょうか。
私は全然わからなかったです。
柔軟なと言われて思いつくのは成功者の人々の顔触れです。
でもどんな内容なのかはよくわからないというか、頭の作りが違うというか、次元が違うと言うかと言う感じで要領をえない内容なのです。
そうではなく発達障害を具体的に克服する方法を知りたいですよね。
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