こんにちは、発達障害克服カウンセラーの斉藤麻美です。
本日は私の学生時代についてお話ししようと思います。
私は大人の発達障害と言われたのですが、学生時代はそのようなことを言われることなく育ってきました。

でも不器用さは著しく、生きづらさは常に感じていました。
どのように生きづらいかといえば、理科などの実験があれば手は動かさず、何もしないで見ているだけでした。

家庭科の調理実習があれば洗い物担当で、包丁を握ることはほぼありませんでしたし、運動会でダンスがあれば、立ち止まってみているだけで率先して行動することはありませんでした。

習い事でそろばん教室に見学に行けば到底できそうにない、ハードルが高すぎると感じて見学だけで終わってしまいました。
声優や演劇は全く興味がなかったのですが、器用になりたい一心で毎日のようにレッスンに通っていた時期もありました。

でも、セリフの棒読みすらできなかったのです。
体を動かしながら、言葉を発するという同時進行ができなかったからです。
こんな感じで、行動力はあるものの、実際に手足は動かせず、身についたものはなく、社会人になれば何度も仕事を解雇されたのです。
当時は発達障害と診断はされていないのですが、不器用で何も自分ではできなかったのです。
卵が先か鶏が先かなんて言葉がありますが、本当にどちらが先なのでしょうね。
片方がなければもう片方も成立しないのでどのようにして鶏や私たち人間が誕生したのか永遠に謎ですが、不器用さについても同じようなことが言えます。
できないからしないのか、しないからできないのか、両方正しいですがどちらもできないから永遠にできないままで、できるようになる日が来なかったのです。
引っ込み思案ではあるけれど、率先して行動する行動力自体はありました。
行動力があっても正しい対処法を知らないと何も意味がないなんていうことがよくありました。
こんな時、「何も意味がないなんてことはないんだよ」と慰めてもらったことは数えきれないほどたくさんあります。
もちろん何も意味がないというと語弊があるかもしれません。
そんなことを言う人は嫌な人間に見えるかもしれません。
でもあなたが発達障害を克服したいのなら何が必要かをよく考えてみてほしいのです。
1回慰めることで1ポイント成果が上がるのならば、慰める回数が多ければ多いほど良いことですよね。

でもそうではないのです。
もちろん、慰めることによって何か発見があるかもしれないので悪いとは言いませんが、慰めなくたって発見はできるのです。
必須ではないですし、それが成長の足しになるのならばいくらでもやって良いです。
でも本質的には無意味だと言うことを理解してほしいのです。
必要なのは闇雲な努力や努力したことが素晴らしいと錯覚することではありません。
必要なのは確実に成果を出せる正しい対処法です。
このように言うと器用な人は努力しないでも淡々とこなしてしまうというような人間味のないマイナスな意味に捉えてしまうかもしれませんが、そうではないのです。
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