こんにちは、発達障害克服カウンセラーの斉藤麻美です。
あなたは発達障害のために色々なことを諦めていませんか?
他人に振り回されることもあると思いますが、自分の意志で決断したことは自分で責任を取らなければなりませんね。

他人が決断していたとしても責任を取るのは自分ですが、自分が決断したとなると色々なところで仕方がないと納得してしまうものです。
でもそれは本当にそうなのでしょうか?
私の母はよく私に対して、口癖で日頃の行いが悪いからバチが当たったんだというようなことを言っています。

でも私は誰よりも努力家で周囲も家族もそのことは認めていたのです。
それなのに日頃の行いが悪いからとはどういうことなんでしょうか?
こういう矛盾はいたるところにたくさんあるのです。
私は優等生と言われて育ってきたので、素行が悪いとかそういうことからも皆無でした。

私のことを認めて高く評価しているはずなのにそうではないのです。
ではどうして矛盾する評価があるのでしょうか?
のちに私は発達障害と言われたのですが、とにかくあらゆることが出来損ないでした。
何でも簡単にできてしまう人が努力しても嫌味に映ることもありますが、幸か不幸か出来損ないの私が直向きに努力をしていると健気で絵になりますよね。
優等生としての評価は高いですが、結果を全く出せないので辻褄を合わせるかのように日頃の行いが悪いからバチが当たったんだと言われることが多かったのです。
私は記憶力がとても悪く、キャパオーバーになると何も覚えられませんでした。
要するに1秒たりとも記憶が持たないのです。

でも今ではそう言った発達障害の特性を克服して1ヶ月後でも覚えており、100倍以上どころではない記憶力を発揮できています。
超人的な記憶力という意味ではないですよ。
ほぼゼロのものは100倍しても1にすらならないからです。
そういうと今度は大したことないと思うかもしれませんが、絶対に不可能だと思うことを可能にしたことに大きな成果があります。
私は何度も何度も繰り返し努力しましたが、理解はろくにできないし、翌日には忘れてしまい、自己嫌悪に陥り、努力が足りないと自分を毎日責めていました。
でも今はきちんと理解ができ、当たり前に翌日も1ヶ月後も覚えているので、自分を責める内容自体が存在しなくなりました。
しかも覚える時に努力さえしていません。
繰り返し反復学習なんてしません。
覚えていることを意味もなく反復学習しませんよね?
もちろんその先の発展的内容はしますよ。
だから努力家ではなくなったなんて事実も存在しません。
自分の決断だから努力が足りていないと責任を感じてしまうのは当然ですが、それは発達障害の特性のせいだったのです。
発達障害は目に見えないので、見える事例で考えてみましょう。
足を悪くし、車椅子生活を余儀なくされた運動部の人がいました。

足の感覚がなくなり、怪我をしていても気づかず、大事になってから気づき、大掛かりな治療が必要になったりとどんどん状況は悪くなったのです。
とうとう足を切断しなければならなくなったのです。
普通ならば狼狽えるところですが、足がなければ知らず知らずのうちに怪我をすることもなくなりますし、義足をつけてまたスポーツができるかもしれないと心から嬉しいと思い、それを実現させたそうです。

周囲から見れば憐れむ対象かもしれませんが、自分の足で歩き、スポーツができることが心から嬉しいそうです。
これは強がりではなく、本当にそう思っていると思いますが、車椅子生活が存在していなければ健康な足をわざわざ切り落として義足をつける人はいませんよね。
倫理的にもそんな手術はしてもらえないでしょうが、希望する人もいないでしょう。

発達障害を克服した状態での選択肢とそうでない場合の選択肢はいろんな場面で人生を大きく変えます。
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