こんにちは、斉藤麻美です。
本日は発達障害の克服に大切な観念についてお話ししますね。

観念とは主観的なものごとの捉え方のことです。
例えば、あなたはコーヒーが好きですか?

私は嫌いです。
これは主観的な捉え方ですね。
コーヒーが飲み物というのは客観的な事実で、人によって飲み物ではないということにはなりません。
このように誰が見ても同じように捉えることを客観的といいます。
本日は発達障害の克服に大切な、主観的な捉え方についてお話しします。

あなたは普段どんなことを考えますか?
このブログに辿り着いたということは発達障害に悩んでいたからですか?
それとも発達障害とは診断されていないものの、不器用さに嫌気がさしていたからですか?
どちらにしても日常生活で多くのことに困っていることでしょう。
逆に器用で何でもそつなくこなしてしまう人はなかなかこのブログと出会うことはないでしょう。
見つけたとしてもスルーするか、興味があるだけですがる思いはないでしょう。
発達障害を克服したいと思ってブログを読まれている方は、普段からネガティブな思考に偏っていませんか?

失敗したらどうしよう、どうせ自分にはできるはずがない、自分は価値のない人間だなど思っているかもしれませんね。
私もそうでした。
ところで、「失敗」という認識をするためには、成功という成果が存在しなければ失敗という認識をすることはできません。
テストで最悪な点数を取って失敗したと認識するためには、高得点を取っている成功者の存在を認識しなければできないのです。

どうせ自分にはできるはずがないと認識するためには、何でも器用にこなしてしまう存在が必要です。
自分には価値がないと思うためには、価値のある人間が必要なのです。
例えば、推し、芸能人、人から信頼され、たくさんの人から頼りにされている人などでしょうか。
兄と弟がいるとすればどちらが先に生まれたでしょうか?

それは絶対兄ですよね。
でも本当の意味では同時なのです。
おかしな話ですね。
「兄」という存在が生まれるためには弟が必要なのです。
「母」もそうですね。
中年の女性がみんな母とは限らないのです。

子供の存在があって初めて母になるのです。
このように言葉とは、どんな言葉でも区別する認識が生まれるものなのです。
何かが「ある」と認識した瞬間、何かが「ない」という認識が生まれるのです。
でも認識しなければ区別は生まれないのです。
多くの人が自分の足で歩き、自分の意志で食事をしますよね。
でもこれが当たり前ではない人もいるのです。
足がなければ、足がないことに思い悩むかもしれません。
胃ろうを作り、栄養剤を管で流し込むだけで口から食事ができない人は普通に食事ができる人を羨むかもしれません。
このことからあなたに伝えたいことは、認識していないことは悩んでさえいないということなのです。
失敗したらどうしよう、どうせ自分にはできるはずがない、自分は価値のない人間だななどと思っていることも主観的な観念なのです。
ある意味、勘違いなのです。

別の捉え方もできるのです。
でも実際に発達障害だし、出来損ないなのは事実じゃないかと思うかもしれません。
でも本当は出来損ないなどという事実ないのですよ。
不器用だと思い続けた結果それが事実になってしまっただけのことです。
最初から何でもこなしてしまう器用な人もいません。
何でもそつなくこなせると思っているからそれが事実になるのです。
何でもそつなくこなせるからそう思うのではありません。
逆です。

だから発達障害を克服するためには観念を修正したり、手放すことが必要なのです。
その方法は無料メルマガ「発達障害克服の方法」で教えていますので下記のリンクよりご登録くださいね。